冨来郁の歴史

和菓子を創り続けて一世紀半

当家の始まりは、初代伊兵衛が分家独立したのが、今から約200年前の享保年間であります。当時、材木商を営んでいたと記されており、伊勢御代三街道沿いに多くの近江湖東商人と共に常夜灯(三重県関市)も建てました。その石の土台には今も初代、南伊兵衛の名前が刻まれ残っています。お菓子づくりは慶応から明治にかけて3代目の與惣吉が菓子業の修行後、独立。以来、幾度の店舗の移転、大火災による全焼などを乗り越えながら現在の地、五個荘で約140年間営業させていただいております。



創業初期

日本の各地には、お嫁入りの時にお饅頭を嫁入り道具と一緒に持って行き、嫁ぎ先でご近所の方々にお配りする風習があります。今では結婚式の様式が変わり少なくなりましたが、上記の写真の箱に饅頭をたくさん入れ、漆塗りの蓋をかぶせて納品する容器です。また、明治20年頃は政府より営業鑑札の発布があり、これを受け八日市で営業していました。当時、お伊勢さん参りの街道沿いに店舗があり、地元の村へ帰る人々のお土産品としてもたくさん当店のお菓子が買われていたと聞いております。



戦時中に配った団扇

菓子屋業の2代目を継いだ彌三良は戦時中に鉄製の道具の多くを供出しました。その為、面菓子などの鉄製の型も少なくなりました。又、次代を担うはずだった長男も戦争で亡くし、とても悲しく残念な時でした。しかし、当時も店を閉める事無く営業しました。この団扇はお客様に夏のプレゼント用として、隣町の能登川伊庭(現東近江市)でつくってもらい、お渡ししたものです。ご近所のお客様が長年保管されていたものを当店にお持ち下さいました品です。



江戸後期
享和年間
当家の初代 南伊兵衛が分家し、材木商を営む。
当家2代目伊三郎は若くして亡くなり、妻はるが家計を助ける。
慶応年間 当家3代目與惣吉が菓子店に入店し修行する。
明治5年 與惣吉が菓子店の初代として独立し、朝日屋の屋号で菓子の製造・販売を始める。
明治10年頃 御代参街道沿い(旧滋賀県八日市市)に店舗を建てる。
明治16年 八日市の市場の中心地に店舗を移す。
明治17年 政府よりの営業鑑札が菓子業界にも必要となる。
明治20年2月 滋賀・愛知神崎郡役所(旧五個荘町)より営業鑑札を受ける。
明治31年 八日市の大火災に遭い全てを無くし、生まれ故郷の五個荘(五位田)に帰る。
明治40年 当家4代目彌三良が菓子商の2代目となる。
昭和20年 戦時中も休むことなく営業を続ける。但し、多くの鉄製の道具を供出し、失う。
昭和24年 彌三良の長男が戦死の為、5男の郁三が当家5代目となり、菓子商の3代目となる。              
昭和42年 工場が手狭になり、現在の場所(東近江市宮荘町)に店舗と工場を移す。
昭和46年 工場の増築
昭和56年 西武グループホテルの誕生と共に取引を始める。
昭和63年 工場と店舗の増築
平成8年 お菓子づくりを始めて130年のお礼とお返しの事業として、「出会いは学びの出発点」のテーマのもと、地元の方々を講師にお招きし、1年間で10回、地域の方々と共に様々な分野の事を学ぶ座談会「手の窪の会」を開催する。
現在 多くの方に喜んでいただきたく精進の日々です。

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